その2 川端康成の碁好き

Last Updated on 2025年2月28日 by 成田滋

川端康成の碁好きは、昔からのことだったようです。文芸評論家の中村光夫は「まだ学生だったころ、谷中のお宅をなにかの用事で訪ねたとき、氏(川端)が豊島与志雄氏と碁を打ちながら、ほかのときに見られない楽しそうな様子だった」と書いています。碁というのは、川端にとって遊びであるゆえに、人間の純粋な行為であり、無意味であるがゆえに、人生を象徴しているというのです。

「川端氏にとって文学もほぼ似たようなもので、碁は抽象性、非功利性がはっきりしているだけに、尊むべきものであり、その無用の業に昔から存在を賭けてきた棋士たちの精進は、氏には人間の智能のある極致を示すようだ」 このような中村の川端観は、碁と他の芸術との比較に現れます。すなわち、「芸術作品の優劣は容易に判定し難いが、碁の勝負はいつもはっきり決まる。従って無用の遊戲を職業とするのでも、棋士の生きる世界は、芸術家のそれより真剣で厳しい。」ここに川端が棋士に対する抱く敬意と近親感があるというのです。

川端の碁と名人秀哉への思い入れは次の文章にも現れています。

「私の精励な凝り性の一面がこの「名人」に出ている。そうあり得たのは、観戦当時の碁好きのせいばかりでなく、名人にたいする私の敬尊のおかげである。」

「本因坊秀哉名人は三十年の上、黒を持ったことがなかった。第一人者であった。名人の生前には後進の八段もなかった。同時代の相手は完全におさへて、次の時代には地位の及ぶものがなかった。名人の死後十年の今日、碁ではいまだに名人の位を継ぐ方途が立たないのも、一つは秀哉名人の存在が大きかったせいもあろう。道としての碁の伝統が尊んだ「名人」は、おそらくこの名人が終わりであろう。」

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA